界誌や業界新聞ではあたりまえに頻出する「工作機械」や「関連アイテム」といった語句ですが、業界媒体ではない、それと一切関わりがなさそうな書物などで、それらに突然出くわすことがあります。あくまでも「突然」ですし、出目を考慮すれば、仮にそれらをいかにそれらしく集合まとまりにしたとしても、そこからは、いかなる洞察、意味かんぐりもむりな、つまりそこから何らかの将来にむけたアクションにつなげることが期待される工作機械ビジネス情報源としては、まったく無益なものに思えます。(もちろん、その作品自体の価値やこちらのリスペクトは、コンマ1μたりともゆるぎませんよ。)
はいえ、ごくたまには気まぐれも手伝ったところで、それでもそれなりの手間ではあるものの、フレーズごと紙片のようなものに書き留められることがあったりします。さらにとはいえ、そういったものは、その存在すら忘れられたりしますので、残存率、最終歩留まりは極端に低くなります。無益といったそばから矛盾しますが、そういったものをいったん、まとめてみようとおもいました。恒例のお蔵入り企画の一環として。
かし、いかにワンフレーズとて著作権があります。その場合、一般的に出目を明示することで抜粋は認められる、ような風潮があります。事実、論文などでは頻繁にそれが行われています。ですが、そうであっても、そのままそれを別の著作物に掲載してしまうことには、その著作者しだいなのですが、法的な問題に抵触するとの告発の余地、その可能性もあるようです。あくまでも、出目明示による抜粋であれ、じつはその判断は著作者にゆだねられている、というあいまいさでなりたっている、ということでしょうか。現実には、著作者側からみれば、抜粋されることを名誉と感じる場合もすくなくないようであり、訴訟となるケースはすくないようですが、「だからいいだろう」と堂々とはいえない、ということでしょう。
はあるものの、そこは、世の中よくできたもの。完全にアンタッチャブルとなってしまうと、もうひとつの重要な権利である、「表現の自由」を損ないかねず、そことの兼ね合いが必要である、という法曹界の意見。さらに、作品自体を広く知らしめる手段を制限すべきではない、という理念が加わることで、ここに道筋が立っています。
つまり、抜粋にとどまらず、そこに何がしかの独自の評価文言を加え、さらに抜粋部と、その評価を視覚的に明確となるよう区別すれば、「引用」という、法的に認められた正当な行為となり、こうなると著作権には抵触しなくなるようです。であれば、それらを堂々とご紹介することが可能となります。
あと、重要なのがそこに抜粋の理由が伴うこと。ここでは、工作機械とその仲間たちが、業界媒体外で登場した意外な実例集、という理由付けが可能なはずです。ですが、例えば、いきなりここでスイスの山々のうつくしさを謳った詩の一説の抜粋をしたとして、「いや、スイスでみた山がきれいだったので。それを伝えられればとおもって・・・」となると、理由として、それよりは弱いかもしれません。もちろん、つねづね山々についての話題に触れていたり、それらに関わりがある、との客観的な経歴があれば別なのでしょうが。。いずれにせよ、解釈に余地があるため、ケースごとの判断となるので、一般論では事前に判断しにくいところです。
さらに、主従の関係。抜粋部からの印象が、それをふくめた全体の本旨の印象そのものとなっている、との印象をあたえると、有利には働かないようです。それが抜粋である以上、あたりまえですが。。これも、余地が残されています。
ですが、いかに条件をクリアしたとして、「だからいいだろう。」ということでもないような気もします。著作者へのリスペクトが本質であり、法律はそれを保護しているだけ、だからです。まずは、法律の門外漢として、理解しておかなければならないこととしては、こんなところでしょうか。
たがって、そのまま蔵出しするのではなく、意味かんぐり無益と言っておきながら、なんらかのコメントを加えることで、著作権に抵触しない状態としました。もともとの動機がこうですから、コメントの質は推して知るべし、いきあたりばったりです。何かこう、ネタ切れを照れ隠ししつつ、どっかから引き出してきて、その内容の乏しさを言い訳しているようにしか思えなくもない気がしてきましたが・・・。そこは夏休み企画、番外編として大目にみていただくとして。
ころで、世には評論家や批評家という職業があります。他人の作品について、とてもたくさん熱心にコメントや記述をします。その方々は時に揶揄されたりしますが、おそらくその作品の、ポジティブ・ネガティブの方向性の差こそあれ、熱狂的な支持者であり、前述の「法的な何か」も考慮し、いろいろな意味で、もちろん自身のプライドもあり、そのままそれを伝えることができない、もしくはそれではまずいことを知っているため、内容の引用にとどまらず、負けないように一生懸命コメントを加えているのではないでしょうか。そんな気がしてきました。
々も、他社の製品をあつかっているという立場です。そこに著作権はありませんが、メーカーの準備するマーケティングフレーズをそのまま利用、あるいは、ごくわずかな言い換えレベルから脱しなければ、法律が守ろうとしているものへの侵害、本質的には著作権違反となんらかわりません。
”翻訳者とは、半分しか姿を見せていない美人を、愛嬌たっぷりとわれわれに向かってほめそやす、仕事熱心なたいこもちである。
(ゲーテ 格言集)
工作機械および関連アイテム登場文献
”理解できないところで、理解をやめておくこと、それこそが高い到達である。それができない者は、天国のろくろ旋盤※によって挽かれ、破滅する”
(※英米小説で、この一節は Latheと訳され、その和訳においてもこの一節は「旋盤」として意訳されるようである。一般的には旋盤と訳すことで問題ないが、業界の歴史通念上、時代考証的にはいわゆる「旋盤」ではなく「ろくろ」またはLatheの語源とされる「ろくろを駆動する弾性のある竿」が訳としては妥当かもしれない。いわゆる工作機械としてのLathe
「旋盤」出現は、18世紀の英国と学術的には推定されているためである)
(荘子 第二十三篇 七章 中国 紀元前370年ごろ)
”機械あればかならず機事あり。機事あらばかならず機心あり。機心胸中に生ずれば、すなわち純白備わらず。純白備わらざれば、すなわち神生定まらず。神生定まらざる者は、道の載せざるところなり ”
(荘子 外篇 天地第十二 中国 紀元前370年ごろ)
産業革命以前には、機構的動力によって変形を施すもの、といえば「ろくろ」が代名詞だったのかもしれない。いまであれば、超人的パワーの代名詞に工作機械をあてがう偉人はいなさそうだが、業界人であればここぞの時には「知ったかぶりすると、天の旋盤で挽かれるよ。」と言ってみるのもどうか。迫力だけは伝わらないだろうか。
(鑢「やすり」がけは、工作物をおしながら、すばやく前進すること。50年の熟練工
Die Feilenhaumachinen Michael Matthes 著 Deutsch Museum編)
ラスコー洞窟あたりの壁面アーティストの仕業か、と見間違うほどの原始的魅力にあふれるスケッチ。機械工ならば、知っている。すべては、やすりがけからはじまることを。ならば、それが太古の壁画時代からあがめられ、描きとめられたとしても、時代考証との整合性はともかくとして、感情的な疑問などない。
なにごとにおいても、ひとつのマスタリーのためにさえ、50年もの歳月が、その引き換え請求書に記載されてくるものなのか・・・時間よ、体力よ、現金よ、そして忍耐よ!
”それで円筒のことなんだがね、あたしの技術と工作機械をもってすれば、そう難儀せずとも作れるとおもってたんだ。ところがだ、円筒をできるだけ細くしようとおもって、肉の薄いアルミ管を買ってきたんだが、これが薄すぎるんだね。組み立てるときのためにねじを切ろうとしたんだが、なにしろティッシュペーパーみたいに薄いもんだから、ちょっとでも圧力を加えると、曲がったりへこんだりして、仕事にならない"
(篠原慎訳 ジャッカルの日 第一部 陰謀の解剖学 フレデリック・フォーサイス 角川文庫 1971年)
"金属と金属の接合は、溶接がいちばん手軽で、強度も高い。しかし、油や発火性の燃料の入っていたドラム缶は、それが鉄板の表面に薄い膜として残っているため、溶接するときに熱せられると、それが気体に変化して、爆発する危険がある。ところがハンダ付けの場合は、溶接ほどの強度を得られないが、蒸気熱で比較的低い温度で接合できる。(中略) とにかくこのやり方でいいとわかったので、二日に一本の割合で、ドラム缶の改造をやることにした。約束どおり五月十五日までには残り四本も仕上がるはずである。やはり傭兵本来の仕事をするのは、いい気分だった。"
(戦争の犬たち 篠原慎訳 フレデリック・フォーサイス 角川文庫 1974年)
国際的冒険小説は、ともすれば超人的ヒーローの大立ち回りがハイライトとなりやすいが、そこをあえて完全無視省略し、道具の調達、物流、移動、人員確保と配置など、まるでベンチャー企業のスタートアップ準備と作戦発動のごとき克明な描写がお得意のフォーサイス氏。"ジャッカルの日"では、松葉杖を模した分解格納狙撃銃の製作の困難さを、「ワークが薄くてねじが切れない」などと、われわれ業界内での日常的ななげきのように、もぐりのガンスミスにのたまわらせている。「ねじって、まわすものじゃないの?何、切るって?」と仮にある門外漢の読者を置き去りにしたとしても、いたってストーリーに影響はないあたりは計算ずみだろう。
"戦争の犬たち"では、なんと溶接とハンダ付けの講釈にまでおよぶ。締めは、これが傭兵本来の仕事だ、とまで。。。無敵アクションものに背を向け、まるでそれが現実のプランを下敷きにした克明な内部情報であるかのように読者をひきこむ氏の手法にとって、工作機械や工程への二三歩ふみこんだうんちくは、こだわりのカクテルとスーパーカーに蝶ネクタイ、とも、「野郎ども!」の親方命令とともに、やれやれとはせ参じる、憎みきれないならずもの七人衆、とも無縁の、なにかありそうな匿名プロフェッショナル演出にはかかせない隠し味フレーバーとおみうけしたい。
"Werkzeugmachine 【ヴェルクツォイク・マシーネ】※女性名詞
複数形 -n Werkzeugmachinen 工作機械”
(アポロン独和辞典【第三版】同学社 2010年)
"machine-outil ※女性名詞 複数形machines-outils 工作機械"
(クラウン仏和辞典 第二版 三省堂 1983年)
"機とは煮詰まることであり、最高の有効性を発揮することであり、そこにこそ賭けのほんとうの姿が形をあらわす。"
(行動学入門 三島由紀夫 文春文庫 1974年)
"「械」 からくり。しかけ。"
(国語辞典 第八版 旺文社 1992年)
各名詞に性別のあるヨーロッパ大陸系の言語では、工作機械は女性名詞となる傾向があるかもしれない。マザーマシンであるから・・というのは理由ではないようだが、関係者としてはそう憶えて(だまされて)おきたい。
「機」の解釈は、三島氏によるものであるが、「械」の辞書説明と組み合わせると、「機械」という単語がドラマチックになる、いやむしろ本質的なもうひとつの意味が姿をあらわすか。
"業界構造を変える生産のイノベーションは、業界内だけでなく業界外からも導入される。工作機械メーカーが、コンピュータ化された機械器具を開発したことによって、それを使用する製造業での規模の経済性が増大したという例は、業界外からのイノベーションが業界構造を変えたケースである。"
"競争相手の製造設備を買い取り、廃棄する。それも相手の(事業からの)撤退障壁を低くし、また業界内に売却されるのを防ぐ。"
"競争相手が新製品や製造設備改善にただちに追加投資を必要とするよう仕向け、こんな投資をしてまで事業をつづけるべきか、疑いをもたせる。"
(競争の戦略 土岐・中辻・服部訳 ダイヤモンド社 マイケル・ポーター 1982年)
”工作機械のように、物性的に差別化できる製品は、いろいろなデザインや特性が可能である。”
”ロボットによる在来の有人工作機械の代替は、使用上の直接費、買い手の実績に及ばす影響を含む複雑な代替の一例である。”
(競争優位の戦略 土岐・中辻・小野寺訳 マイケル・ポーター ダイヤモンド社 1985年)
学識者でありながら、”企業競争”という現実との対処を、心理やかけひき、人間関係でのからめとりさえも交えるポーター氏。でありながら、アウトロー戦略ノウハウ本などとは異なる、経営学史に燦然とかがやく体系化された知的万能フレームワークを同時に提供する。工作機械業界そのものと分析と同時に、ユーザー側からみた資産としての視点で、工作機械には目を光らせていたようだ。ときには業界内の余剰設備がおよぼす悪影響を指摘、「買い占めてすてろ」とまで言い切るインテリ無頼。まずはすてるまえに、エクストリームにご一報を!
"リヴィエールが感心していった、「よくも切り抜けたね?」そして、彼が単純に職としてのことだけしか言わず、自分の今日の難飛行について、鍛冶屋が金床について語るようにしか語らないのを嬉しく思った。"
(夜間飛行 堀口大學訳 サン=テグジュぺリ 新潮文庫 1931年)
この集まりの中で、もっとも文学的な表現かもしれない。「床屋」が「はさみ」についてかたるのでも、「料理人」が「なべ」についてかたるのでもない、というなぞ。
"彼はスターリングラード郊外の赤軍空軍基地の格納庫の前にいた。軍の機械工に徴用されたのだ。"
(ファイアフォックス 広瀬順弘訳 クレイグ・トーマス ハヤカワ文庫 1977年)
"当時彼はロスアラモスの秘密研究所で機械工として働いていた。"
(ヴェノナ 中西輝政監訳 ジョン・アール・へインズ&ハーヴェイ・クレア PHP出版社 2010年)
これは、シチュエーションを説明する上で必要、もしくは事実そのままということだろう。それでも、軍という機密性のたかい組織に「潜入」するのだな、という情景を即座に喚起させる。それが機械工。
"それらは喜びの鋳型であつた"
(鋳型 谷川俊太郎 62のソネット 角川文庫 1953年)
"無の鋳型を 神に送ろう"
(挽歌 谷川俊太郎 愛について 角川文庫 1955年)
"床は石でできている。地殻に直接つながる花崗岩を平らに磨きあげたものである。"
(沈黙の部屋 谷川俊太郎 21 角川文庫 1962年)
"想念がエイハブを完全に捕捉していたので、内面の鋳型が外面のすべての動きをかたどっているかのようだった。"
(白鯨 八木敏男訳 ハーマン・メルヴィル 岩波文庫 1851年)
"「なんて不思議なことだ!」鋳物工場の職工長が言いました。「このこわれた鉛の心臓は、炉に入れても溶けやしない。捨てなくちゃならん。」"
(幸福な王子 西村幸次訳 オスカー・ワイルド 新潮文庫 1968年)
"金は鋳造された自由である”
(死の家の記録 工藤精一郎訳 ドストエフスキー 新潮文庫 1973年)
"なめらかに動く唇から言葉がまるっこく美しく鋳造されたてのように飛びでてきて”
(魔の山 トーマス・マン 関泰祐 望月市恵訳 岩波書店 1988年)
関連用語で重要な「鋳型」。これは抽象的な比喩において頻出度No1かもしれない。金型よりは昔からあった、というのが理由かもしれないが。。貨幣という、ただの丸い金属に振り回される浮世へのあてこすりか?はたまた正確に転写し量産するもの、はんこのような意味合いで、平面ではなく、なお人間にちかい立体的なものを喚起させたかったからか?
"わしは今、わしの仕事をするある種の機械を造らせにいくんだ。林檎酒製造器(りんごしぼり)ーー それがわしの林檎酒を盗むか?草刈り機ーーそれが朝寝坊するか?玉葱皮剥ぎ機ーーそれがわしに無礼な言動をするか?いや、林檎酒製造器、草刈り機、玉葱皮剥ぎ機ーーみな忠実に仕事に精を出す。しかも無私無欲、賄いなし、給料無し、然し一生善を行ふ、徳はそれ自ら報いなり、の目覚しい実例ーー"
(詐欺師 原光訳 ハーマン・メルヴィル 八潮出版社 1857年)
"頭に油をそそぐのは、ところで、われわれが機械に油をさすように、頭の内部の回転がよくなるようにとの意図によるのであろうか?"
(白鯨 八木敏男訳 ハーマン・メルヴィル 岩波文庫 1851年)
"鈍刀の骨を切る 必ず砥の助けに因る”
(弘法大師 三教指帰)
"愚か者の鈍さは、利口者の砥石です”
(シェークスピア お気に召すまま 五幕一場)
機械文明の批判、はありがちと言えるが、逆に人間をちくりと批判としたくて機械を持ち上げる表現もある。相手を批判せず、だれかを持ち上げる、、かような技術もある。。
"それに砥石の件がある。銛打ちたちは投げ槍やその他の武器をとぐためにいつもポケットに砥石をしのばせていて、食事どきになると、これみよがしにナイフを研いでみせるのだ。"
(白鯨 八木敏男訳 ハーマン・メルヴィル 岩波文庫 1851年)
"ビリー・キャメロンがどうして"ビッグ"という形容詞をつけて呼ばれるようになったのか、それは彼の身体を見れば一目瞭然だった。(中略)しかも裏に鋲をうち爪先を鋼板で覆った防護靴をはいている。"
(アイルランドに蛇はいない 篠原慎訳 フレデリック・フォーサイス 角川文庫 1984年)
”おれはボールベアリングを箱のなかに戻し、袋をどこかに捨てて、車をなかに入れ、部屋に戻ってひげ剃りにかかる。”
(郵便配達は二度ベルを鳴らす 田中西二郎訳 ジェームズ・ケイン 新潮文庫 1934年)
”隣のテーブルに、眼鏡をかけた陰気くさい男がひとり、軸受け工作法の本に熱中していた”
(寒い国から帰ってきたスパイ 宇野利泰訳 ジョン・ル・カレ ハヤカワ文庫
1978年)
人物の不敵さを表現する、もしくは仰々しさを醸し出させて雰囲気を盛り上げる、そんな場面にも小道具として関連物は登場する。すこしなじみのうすいものだからこそ、そこに曰くありげで謎めいた不気味さが加わる。あまりめずらしいものだとただの変わり者との印象となり、ありふれたものだと緊張感がない。
"人気のない機械室でこれとそっくりの雨霧のような光が輝いていた。彼はときどきそれを夢に見てはっと飛び起き、闇の中で目が覚めて夢だとわかってほっとすることがあった。遊技場で過ごす時間は、ピストンの鈍い金属音のリズムに揺られているような気がする。"
(自由への道 海老坂武・澤田直訳 ジャン・ポール・サルトル 岩波文庫 1945年)
”そのすべてのドアやすべての窓は、穏やかなジャンヌ=ベルト=クーロワ街に面しており、機械のうなる音でこの通りを満たしている。"
(嘔吐 鈴木道彦訳 ジャン・ポール・サルトル 人文書院 1938年)
機械の特性に、「サウンド」およびそれに伴う「リズム」がある。その作品に、不安をいだく現代人を登場させることの多い、実存主義の権威サルトルの手にかかれば、機械のかなでるそれらのワンフレーズだけで、読んでるそばから乗り物酔いに似た気持ちにすらなってしまう。
"マニュも見た。何がどうなっているのか見当もつかなかったが、見ることは見た。ローランが作りかけているもの。こみいっていた。機械があって、そこから管がいろいろな方向に突き出ている。メーターもいくつかついていた。ローランが覗きこんでは数字を読んでノートする。自動車工業を簡素化する装置。その機械をローランはそう呼んでいる。"
(生き残った者の掟 岡村孝一訳 ジョゼ・ジョバンニ 河出書房新書1971年)
めずらしくも、メインキャラは、自動車業界に革命を起こそうとするマシニストそのもので、発明家のような設定だが、そこは偉人伝のようにシンプルとはいかず、さらにめずらしくも、暗黒街に首をつっこんで生きる人物、というややこしさ。映画「冒険者たち」の原案といえば世代によっては広く通用する。。
"「おい、動いちゃだめだよ」太い呼声にR62号君は我にかえった。しかし激しい音と光にしめつけられ、まるで自由がきかない。リベットと旋盤の音、溶接の光、金属の焼けるにおい。・・・・・工場にいるんだなと彼は思う。(中略)ところでおれは、何をするんだっけ?サーブリング表をもって設備課にいくんだったかな?複合自動旋盤のタレットヘッドの図面を、今夜の技術委員会までに仕上げなきゃならないんだ・・・・"
"十一月のある晴れた日午後、高水製作所の技術課の組立室で、R62号君が製作した新式工作機械の試運転がはじまろうとしていた。"
(R62号の発明 安部公房 1953年 新潮文庫)
"そこは小さな高窓が三方にあいた、壁面の多い二十畳あまりの板の間で、一面機械や道具がちらばっており、小型の旋盤まであるちょっとした作業場である。"
"内容はそれほどでもないのに、それを言う調子は上ずっていて、尋常でないなにか残忍なひびきがこもっている。「ダイスだ。」そう言ってまずとり上げたのは、六枚一組のキラキラ光る金属板だった。"
(鍵 安部公房 1961年 新潮文庫)
"おれはすぐに秘密工場にはこばれ、溶解され、更に別な工場にはこばれて、他のおれを同成分の金属に混合され、おれは希薄な、膨大な塊になった。それから、おれは様々なものに加工され、おれの一部はピストルの弾になった。"
(手 安部公房 新潮文庫 1951年)
安部公房氏こそが、もっともその作品に工作機械を登場させた文豪だろう。カフカの「変身」を代表とする不条理小説にあって、重要な概念である「変形」をリアルに行う工作機械はうってつけだったのかもしれない。
"着物のすそが機械の車輪にはさまれたようなもので、彼はぐいぐい巻き込まれていったのである。"
(罪と罰 工藤精一郎訳 ドストエフスキー 新潮文庫 1866年)
"俺はほんの十分前には、船倉の古い砥石のあるあたりをガン燈燈籠を手に忍び歩いた"
(ベニト・セレノ 留守晴夫訳 ハーマン・メルヴィル 圭書房 1855年)
”ぼくはてっきり、その機械を最初に使っているのは自分たちだと思っていたのだ。”
(異国にて 高見浩訳 アーネスト・ヘミングウェイ 新潮文庫 1927年)
"手もみのドリルと機械ドリルでは、その結果に歴然とした違いがあったけれども、そこまでやる必要はなさそうだった。"
(クレムリン・レター 高橋泰邦訳 ノエル・ベーン ハヤカワ・ノヴェルズ 1966年)
"番号が鑢(やすり)で削りとられ、その跡が浅黒く仕上げた銃床にかすかに光っている。"
(うぬばれた殺人 稲葉明雄訳 レイモンド・チャンドラー 集英社文庫 1934年)
"やつが前に踏み込むたびに、ジャックは左のジャブを顔に見舞う。まるで自動機械のようだった。"
(五万ドル 高見浩訳 アーネスト・ヘミングウェイ 新潮文庫 1927年)
"真鍮の空薬莢がひとつ、ドリルであけた穴に小さめのリングを通してつけてあった。"
(深夜プラスワン 鈴木恵訳 ギャビン・ライアル ハヤカワ文庫 1965年)
"旋盤のかたわらにいる陶工、かんな台の後ろにいる指物師を、私はどんなにうらやむことだろう。"
(ゲーテ格言集 高橋健二編訳 新潮文庫 1962年)
これらは、特にめずらしい比喩でもなく、また、状況によっては普段の日常会話でも十分ありうる説明的な描写だろう。意外にも我々は業界との関わり具合とは別に、マシニスト用語に囲まれているものだ、ということか。
"十七歳のジャンが新しく求めた職場は、ボーモンにある鋳物工場の技師だった。もっとも「技師」だなどといってもジャン自身には何の技術も知識もあるわけでない。"
(ジャン・ギャバンと呼ばれた男 鈴木明 小学館ライブラリー 1991年)
フレンチ・タフガイの代表、ジャン・ギャバン。彼の36種類のキャリアの代表がこれ。やわな輩では気絶しかねない過酷な鋳物ワークショップ。そこに「何の技術もなく」飄々と入り込むあたり、3000度の灼熱と硝煙にかすみつつも、フレンチ・タフガイの伝統である「おとぼけ」がすでにみえかくれ。
"ソビエトにて稼動中の工作機械を維持する最も困難な課題、それは膨大な数の他国製の工作機械に必要なストックパーツ確保である。他国から入手しなければならない代表的なパーツは以下:
a.ベアリング:ボール、ローラー、ニードル、ブッシュ
b.歯車:スパー、ヘリカル、ヘリンボーン、多段
c.シャフト:高硬度材、特殊合金、キー溝やスプラインを有するもの
d.レバー、ハンドル
e.送りねじ
f.スピンドル、センター
g.交換可能なスライド
h.クラッチ、ブレーキ
i.プーリー、Vベルト
j.駆動モーター、制御
k.特殊ネジ、ボルト
(暫定報告書 No.6 C.I.A/PR-6 ソビエトの工作機械産業 アメリカ中央情報局 CIA報告書 1951年12月26日)
"制御装置は、オープンループ、クローズドループどちらも製作されている”
(ソビエトにおける数値制御の工作機械:課題と見通し アメリカ中央情報局 CIA報告書 No.SOV.83-1φφ6L 1983年5月)
"「クラマトルスキー・重工作機械工場」という名称は、「スタンコストロイ」という名称に、稼動開始をもって改められた。"
"工場のリーダー的存在は:ニコライ・エンリコビッチ〜(ー削除ー)。高度な学識と技能のある技術者。第二次大戦前は、旋盤設計部門の主任。"
(情報提供 25X1 件名:ソビエトにおける工作機械製造 アメリカ中央情報局 CIA報告書 1952年8月30日)
"レニングラードで新型工作機械の生産開始ーープラウダ 1952年7月8日
レニングラード自動機工場で製造される自動タレット旋盤に、24o径対応モデルが加わる。(中略)目下、同工場の関心は、150o径のスピンドルをもつボーリングマシンである。"
(外国書簡やラジオ放送からの情報 件名:経済ー技術、工作機械、工具 50X1-HM アメリカ中央情報局 1952年10月30日)
一国の工業生産能力を推し量る指標として工作機械関連情報は、諜報活動にとって重要な対象。おどろくべきことは、工程およびサイズの分類、ボトルネック工程、NC技術の差異、重要な技術者とそのバックボーン、政府の後援者など、じつに詳細多岐に渡り業界専門家なみかそれ以上の活動と情報収集がなされていたことだろう。