2018年2月16日

 東芝機械株式会社
ナノ加工システム事業部
博士 福田(ふくた) 将彦(まさひこ) 

同社ナノマシンでの、加工検証、ソリューション
提案から、顧客現場にての加工確認等、国内外を
問わず、超精密加工を具現化しなければならない
フロントラインに常に立ち続ける。

博士号の称号を有する学識に加えた、加工現場で
のナノ加工に関連する豊富な実地経験から、大学
や研究機関での講演、学会への論文寄稿など、同
氏固有の知己への需要は国内外をとわず非常に高
く、ナノ加工という世界を垣間見せてくれる稀有
       なプロフェッショナル


「ナノ加工に完成した学術体系はありません。
その試みと結果があるだけです。」

福田将彦氏



スイス人が、自国民を形容して、自嘲的に、ただし妙に自信ありげにこう語ることがある。


▶『スイス人に、”Not So Bad” と言われたら、相当の誉め言葉だと受け止めてよい。』

お世辞をいわないと揶揄される、そのお国柄をジョークのネタにされることへの、なかなかタフなお返しだが、これはとある理由で、続きが端折(はしょ)られている。

どうも「ジョークやたとえ話は、端的でないと切れがないから…」ということのようだが…

じつは、続けると「自虐を装った挑発」になって、お返しならぬ仕返しになることを賢明にも遠慮したとなれば、やや聞き捨てならない…

本来は、これが「PUNCH LINE(オチ)」だという。


▶『さらに、(スイス人を)黙らせることができたら…そんなことはできないだろうね』




▶ ドクター“F”とよばれた男

芝機械株式会社の福田将彦氏。同社ナノ加工システム事業部に所属するエンジニア。組織のストラクチャーで分類すれば同社製ナノマシンによるナノ加工技術分野のエキスパート、という説明になるが、それは職能とは一語前後の手短なセンテンスに収まらなくては、という諸般の事情にすぎない。同氏を説明するのに、端的になるのは不可能だ。

同氏は語る。

「ナノ加工という概念が、まだ(一般的に)体系的にまとめられ、学術的に定義されているとは考えていません。我々のように、ナノ加工を実地で達成しようと試み、かつそれを再現可能な”ナノマシンを中心としたシステム”に具現化しようとするものがいる、というだけなのかもしれません。もちろん、それが企業活動である以上、成果をださなくてならないということ、が加わります。」

「学術的体系がそうだといっても、決して(弊社が)結果主義となっているわけではありません。ナノ加工およびシステムづくりは、もちろん社内で体系的になっています。しかし、それは企業活動の成果ですから、その体系的なものを外部や第三者に公表することは困難なことが多い。したがって、
一般的になるまでには時差があり、いまはまだ、ということでしょう」

「例えば、量産現場で10ナノの流れ型切りくずを創生することは可能ですが、この現象の必要十分条件を説明することは
、学術的にまだできていない。」

「(成果を得るために)考えなければならないことはたくさんあります。工具、機械、パス、加工条件、測定、評価といった
アルゴリズムすべてを俯瞰し、上昇のスパイラルで上がっていかなくてはならないのです。したがって、そのいずれかを落とすことは致命的です。」


ナノ加工という、先駆者なき曠野(こうや)。ここを「汗と涙をにじませながら這い上がるようなものです。まあ、“血”は、ビジネスですからありませんが…」とそのダイナミズムをつたえつつも、プロとしての余裕をかならず加え、聞き手に、専門家の態度としてやや一般的な「テンションや威容や威厳」を残そうとしたまま、コメントをおえることなどしない。。。鳥瞰図が見えている者の落ち着いた佇まい、そんな印象だ。

だからこそだろうか。そのコメントから滲み出る要旨は、望まないかぎりほぼすべて現場用語で説明がなされる。どうも、博士という単語が喚起させるアカデミックな何か、とはややなじみにくい。

例えるならば・・・適切な語彙がない。やむをえずコピペとなるがこうだ。▼

アヴァンギャルド:
「前衛部隊」を指す語であり、転じて「最先端に立つ人」、そして芸術の文脈においては、《革新的な試み》や《実験的な試み》(またそれを行う芸術家)を指すようになった。
※ウィキペディアより抜粋
 


また、ナノというスケール感は、無垢なありようで機械加工現場にころがる器具など無縁、かしこまった様子でたたずむ恒温室での高精度測定のみ、という勝手知ったる現場からの距離感を感じさせるものだが、同氏のコメントはまったく異なる。

「例えば、(一般的に)サブミクロンのオーダーはナノよりも馴染みがあると思います。しかし、サブミクロンを検証することが目的なのだから、もはや機械加工現場の定盤や、ダイヤルゲージ・電気マイクロメータなどは使えない、という態度を見聞きすることがあります。しかし、わたしのやり方だと、そういった器具を無視して、加工完了の都度、いきなり恒温室の高分解能測定機にワークを直行させることはありません。」



イスの名門工作機械メーカーで、同氏があくまでオブザーバーとして加工検証に同席した時のこと。精度要求の単位がサブミクロンになると、ワークを加工完了後に直接恒温室の高精度測定機に持ち込むべき、とのあたりまえの空気に(やはり)なる。サブミクロンという要求の前に、皆どこか無批判で思考停止となるのだ。あくまでオブザーバーに徹して現地スイス側の検証アプローチを尊重し静かに見守る同氏。しかし、時間という制約がどうにも迫ってきたタイミングで、その複眼的視点がちがうアプローチを提案する。

「サブミクロン」という教義のもと、現地加工現場でカバーに覆われ、出番をなくしいわば置き去りになった定盤。同氏はそれを丁寧にスイス側に断りを入れ、ある了解をもらうと、おもむろに綺麗なウエスで磨き始める。見事な手さばきで基準面を整え、さらに光明丹と砥石で当たりまで取ると、電気マイクロをセットし、ワーク測定を始める。「サブミクロン」の検証であることを何度も念押しする現地エンジニアたちも、その無駄のない一連の動作の前に、「黙って」お手並み拝見となる。

「当たり前ですが、電気マイクロで、サブミクロンを検証するのではありません。もちろんいずれ恒温室へ持ち込みますが、企業活動である以上、時間というリソースを度外視はできません。したがってこれらの現場器具をふんだんに活躍させるのです。もちろん、使い方というものはあります。」


 サブミクロンを売りにしているスイス人エンジニアは、日本から来たナノの達人が、現場器具を縦横無尽に使いこなし、結果見事にサブミクロンを効率的に評価する思考と行動を傍観し、黙って見守り、黙って結果を受け止めるしかなかった。



ブミクロン、ナノという単語は、実態とは別に、本来の「スケール」という概念ではなく、その企業パフォーマンスが「かくあるべき」という「企業の将来的方向性」、ありようを外部に安易に示す形容詞、つまり誰でも拝借可能なコマーシャル用語、キャッチコピーとなった。それは、もはや各人各様にとって都合のよい、便利な免罪符だ。その単語を持ち出しさえすれば、経営のビジョンさえ端的に語ることができ、おそらく誰からも文句を言われない。たとえ、その実績も経験も、準備すら何もなくともだ。ましてやカタログの見出しや展示会のブースに文言を貼ることに、資格もなにもいらない、「自称」が現状だ。

この傾向への批判は容易だが、一方、その単語を持ち出すことで、それを現実に試みる当事者である加工現場すら思考停止に陥ることへの免罪符、この場合は現場器具を軽視してしまう態度。こういった聖域は、おそらく所を問わず存在するだろう。

同氏は、ミクロン、サブミクロン、ナノのスケールを知りつくし、それをたくみに使い分け、複眼的にアプローチする。それは、ロジカルである一方、独創的でおどろきの、つまりアーティスティックだ。(第二回につづく)