2018年4月17日
年、カーボン素材メーカーによる、従来の素材供給にとどまらない、カーボン製品製造(成形)の再取り込みが開始されており、航空機に続いて自動車への応用展開が、その将来的な主たる目的であることは明白。その取り込みの代表例こそが、後につづく童夢・カーボン技術の帰結、東レによる㈱童夢カーボン・マジックのM&Aとなるのであるが、しかし: 「こうなると、いかにもビジネスセンスに溢れているようにみえるが、レーシングカー・コンストラクターを続けるために必要なことをやり、そしてツキがあっただけ。」
「レーシングカー・コンストラクターとしてやっていくためにどうしても必要な技術であり、いつの間にかそれが事業として他分野から評価され、仕事がどんどん舞い込み始めた。」
が、林氏にとって、あくまでもレーシングカーづくりのためのカーボン、それは何度繰り返しても強調されすぎることはない。それをとてもよく物語る、貴重なエピソードがある。: (ボーイングは、カーボン製の機能部品に関しては)一品目を専用の工場で専用の機械を使って作らなければならないとしているので、非常に高額な設備投資が要求されてくる。その代わり、その品目に関しては全量発注するという事のようだったが、尾翼の一部を担当するのに30億円くらいの設備投資が必要だった。計算上は成立するビジネスだったものの…」
「私は尾翼の量産には関心が無かったので断った。」
しかし、いかにそれら異業種からの需要が旺盛だとしても、それはルマン24時間レースに参戦する(自社製)レーシングカーを開発し、走らせるための、資金を生むシステム、つまり“打ち出の小づち”という位置づけでしかない。」
からといって、もちろん航空機業界との強い関わりは、“伝説となった”ということではまったくない。冒頭で触れたが、童夢のカーボン事業は、: 「カーボン・コンポジット製品の成形に留まらない、構造設計の経験とノウハウを評価され、同業界で高度な部品の開発に関与する「世界レベルで、航空機業界において純粋に技術的付加価値を認められる」 ものであり、航空機用カーボン部品には、たくさんのレイヤー、工程がある。カーボン尾翼の量産のエピソードは「レーシングカー・づくり」こそ童夢・林氏のやりたいこと、であり、つまり、それを下支えする限りにおいてのみ仕事を選んでいること、の説明だ。需給バランス感覚が、久しく圧倒的に「供給過剰な状態」に生きている多くの者、顧客に”たのみこむ世界”に慣れたものにとって、一瞬すぐには理解のしにくいところ。また、 童夢のスタートアップを支え、以後も童夢の裏稼業となっている、自動車メーカーからの受託「ショーモデルカー」「コンセプトカー」「プロトタイプカー」デザインと製造。このあたりの“ビジネスモデル”が得意技の童夢にとって、航空機業界での、そのあたりの立ち回りや活躍はいかなるものやら、と勝手な興味はつきない。 んな童夢・林氏をあらためて再確認させるかのように、2008年には、カーボン事業という“打ち出の小づち”から得た、10憶円を超える童夢史上最大の開発費を掛けて、ルマン24時間レース参戦のため「S102」を開発。一般的にレース車両を彩るスポンサーも、募集すら最初から“しない”、という企画だった。: 「カーボン事業を元手に、あくまでもホビーである自動車レースを純粋に楽しむため。」
「一線級のLMP1を一から開発してテストをこなしてルマンに参戦して帰ってくると、S102の予算は10億円をはるかに超える。。これらをすべてスポンサーに依存するのは不可能。ではどうすればよいのかと言うと自腹を切るしかない訳で、童夢はそのつもりでいろいろなビジネスをも展開しながら、まともな資金の確保を実現してきた。それにはそれなりの努力をしてきた訳で、どれほど努力しても総額の10~20%が精一杯のスポンサー獲得に頭を下げて奔走することは私の美学が許さない。」
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